今、思うこと

どうしていいかわからない。

親とのケンカが嫌で、先からの着付けのは駄目って言われるから嫌で、「じゃあ断れば」って言ってしまった、自分で断る気はないからそう言った。

体調のことがあって着物、なのに、着物の話じゃなくてお金の話しか親の口からは出てこない。

お互いの言うことは噛み合わない。

「何も言わん」て言って私は何聞かれても知らんぷりで通した、理解されないし、言っても言い訳とか弁解としか受け取ってくれない。

もう理解してもらうつもりはない。

お金なんか嫌い。

AがないとBじゃないとか、前例がないから駄目とか、そういうのも嫌い。

いいものはいいと、言いたい伝えたい応援したい。

自分が最初でもいいと思う。

人と同じは嫌。

可能性があるのに挑戦しないなんて嫌。




もしかしたら、もう死んでいる人間だから。
もやもや病で、脳の血管の手術をしてもらって、うまくいって、それからのいろいろも含めての、今の私だから。
明日死ぬなら、これぐらいのこと出来ないなんて許さないとか、思ったりもする。
逆に体調のことで、死にたくないから、このぐらい今日は頑張って、明日はこのぐらいで、とか少しずつ決めたりする。




私のやること成すこと親にいちいち口挟まれたくない。私を思ってなのはわかるけど、重い、動けない、しんどい。今は、わー頑張ろう、ってならない。

私の人生はこれからで、ウジウジとリスクに怯えて生きていくつもりなんか毛頭ない、体調のことは焦らずうまく付き合っていけば良い、それと自分のやりたいことは別、一緒にするからいけない、可能性を信じないなんて許さない、落ち着いて受け入れられれば難しいことじゃないと思っている。

もう感覚が違う、親と。
ストレス。

出掛けても、家の親の反応があるからと帰る時間が気になる。家に居たら居たで、何かと気になる。
…家を出たいけれど、働いてもいないし。自分の体調に合わせて働いたとしてそれで独り暮らしだとか出来るものかしらとも思う。

自分にとって難しくなってしまっているのが嫌、もっと簡単だと思えるような、乗り越えていけるような状態をつくっていきたい。

今のままじゃなくて進んでいきたい。

親がどうのこうのも関係のないような、そんなレベルのことじゃなくて、もっと違う、もっとフラットな、レベルの。

いつまでもこんなので居るつもりはないから。

どうにかしたい。




そんな突発的なブログでした。

今の体調のこと


f:id:muusty:20150717201944j:plain
今晩のご飯。
かぶら、ゴボウ、ニンジンの皮、炒った大豆、玄米入り白米。


もやもや病の発作のようなものが三日前くらいから頻繁にあります。
手が変。
左手の指先の感覚がないような感じ。
力が入らない感じ。
物を落とすことはないけど、頻度が増えてきているし、今日は頭の特定の場所が痛かったり意識がぼんやりしていたり勢いよく動くと力が抜けそうで少しふらふらしたり。
「なんでまた今…」というか。
病院に行きました。CTとMRIの検査。血管には最近脳梗塞を起こした形跡はないとのこと。血流を良くする薬と、その薬の作用から胃を守る為に胃酸の分泌を抑える薬、をもらってきました。
血圧を測ってもらうと「低血圧って言われませんか?」とのこと、ちらっと見ると上が104、今まで言われたことはなかったのでそちらも気になるところ。
先週くらいから髪の毛をまとめるのにかんざしを使っていて、後頭部の筋のところがちょっと圧迫されてる感じはあったなぁと。先生にもやもや病とかんざしを使うことに関係はあるか聞くも、それはないとのこと。
同じ病院で、3月と4月に胃のことを看てもらっていたのでその話も少し、今日はして。
もやもや病は脳外科。以前手術してもらったのが12歳になる一ヶ月前、だいぶ経つけどあの時のこと、よく覚えている。…昨年も発作が気になって一度看てもらっていた。「もし今後頻繁にもやもや病のことで病院に通うようであれば特定疾患のを受けといた方がいいのでは」と先生も看護師さんも奨めて下さった。前にも受けていたのは知っているけれど、その時と言うのが「特定疾患のはもう必要ないよね」という話を母にされた時だった。先生も看護師さんも母を知っていて「お母さんに言ったらわかるから」とのこと。さっそく母に言ったらばどうも話を濁される、しまいには「残念やけど病院に通わんなんのや」と。もやもや病のことで病院に通うのが「残念」と言う。前にもある人にもやもや病のことがあって激しい運動が出来ないという話をした時「病気なんかいらん」と言われたのと似てるなと思ってしまった。…どうして、私が意図してなったものではないけれど確かにあるこの体の不調を、そんな風に言えてしまうのだろう。仮病だと思われてるのかな、本当のこと今ここにあるものが信じてもらえないのはどうしてなんだろう。ずるいことをしたい訳じゃない、精一杯出来ることをやりたいというだけなのにね。嘘は付けない性格に、不器用さに、気付いて、もう少しうまくやれないものかと思っているところに。
もやもや病は何を言ってもなくならない、終身保健に入れない、難病のひとつだから、受け入れて、うまく付き合っていくしかない、私の工夫次第だと思う、ネガティブに走っても何にもならない、もやもや病のことで今ある不調は確かだけど、それでもポジティブで居られはする、ひとつでも出来ること可能性がまだあるのに諦める必要はないと思っている。
胃は痛くなくなった、食事療法は続き、必要性も感じているけれど、自分からやりたいと、食べておいしいと思う食べ物を口にしていて、全く無理はなく、むしろこれからもずっと大事にやりたい続けていきたいと思う。胃の不調の波がまだあったりもするし、食べる物を選ぶけれど、焦らず進められればと思う。
ざっと書いてきたけれど。
母がどうして、今ある手が変なのを信じてくれないのか。
胃の時もそう、「え?それって本当なん?」と私に返す。
母の感覚に合わせていたら体がたまったもんじゃない、というか精神的にも。なんで親に嘘付かなきゃいけないの。
私の体のことは私のことだし、自分が一番わかると思うし、そこで母に合わせるつもりはないけれど。
身近な人に理解されない、しようという態度じゃない、それはどうなんだろう。
そこは諦めてしまうかもしれない、辛くて、本当に何も話さなくなってしまったら、それはもっと辛いと思う、どうしたらよいだろう。


…と、いうことも含めてのでした。

今まとめたいこと


f:id:muusty:20150710055703j:plain

写真は昨日の晩ご飯です。
随分と久し振りのブログになりました。
そして書きかけのもあるのですが、こちらを書いています。





前回のブログを書いたあと、いといろとあり、状況は変わって、すっかり違います。一日いちにち、今を重ね続ける程、どんどんどんどん変わっていきますね。

ハラハラしながらも曖昧だったことが具体的にはっきりとした形になりつつあるようで、でも急ぎ過ぎてもいけないようで、ときには時が満ちるまで待つようなつもりで。

それにしてもこの数日は強引なくらいにいろんなことがあって、だからこそ話が進んだところもあって、結果としては嬉しいけれど…もう駄目かもとも思ったりもしてたし今までのいろいろを見直しては「あの時から間違っていたんじゃ…」などと自分の行いを改めに改めたりするのでした。





今一番やりたいことは「着物を着ること」です。
この10日間?くらいは特に強く思っていました。

以前から思っていて、妹とも「いつかさらっと着物着たりしたいよね、普段着で」と話していました。

なぜ今かと言えばツイッターでも書いていたのですが「心もとない胃の辺り、胴廻りに帯を巻きたい」というのがあるからです。それにすっかり寒がりになってしまい、「たくさん着込みたい」というのもあります。暑い方が好きですね。

…それで一週間前くらいに電話で「着物の着付け体験してみませんか?」とのこと。3月くらいにも一度電話で話していた人で、私はずっと着物に興味はあったのでそれだけは嘘ではないので言いましたが、いざ「着付けの体験…どうしよう?」と思いました。最近はまた体調のこと食べることに余裕がなく、時間も要領が掴めず一日があっという間に過ぎてしまうので…着物の着付け体験の時間なんてあるのかな?出来るのかな?と思ったりも。それで電話口で何度も遠回しにお断りしてみるも、「せっかくだから」とのことだし、私もまんざらでもないし今着物が着てみたかたったし、「物は試し」と決めたのでした。

着物の着付け体験、楽しかったです。
最近の中で一番楽しかったです。
着物の着心地は思った通り!でした。
着付けの講師の方が家に来てくれてでした。
私から行くのでも良いとのことでしたが移動などがしんどくて私から来てもらうようにお願いしました。
講師の方は普段着として着物を着てらっしゃるそうで、土日は洋服を着ていると。私は気になることがたくさんあって、たくさん質問をしたけれど講師の方はひとつひとつに丁寧に答えて下さって知りたかったこと不明瞭だったことがはっきりと具体的になっていく、ジグソーパズルのピースがあるべき場所にはまっていくような一時でした。

そのあと家の人とそのことで一悶着あるも、私は自分を曲げるつもりがなく正直に「自分でいいと思った、最近の中で一番楽しかった」のを主に言って…こんな大事になるのもはじめてというぐらいのケンカを親としましたが、それも母の勘違いだったと次の日になってわかって、私は特別悪いことをしたでもないということに修まり「絶対駄目」という雰囲気はなくなったので、ひと安心。。

「着物を自分で簡単に着られるようになりましょう、もっともっと着物を着ましょう、あるものは楽しみましょう」そんな感じでした。着付けを習う、になるので始めるとお金がかかるのですが、いつか講師になれば私のところに来てくれた方のように着付けを仕事にすることが出来ると。はじめからそこまで決めなくても、まず自分で着られるようになるそれだけのカリキュラムもありますよと。自分のペースで進められるし、無理を言うものではないんですよと。

私は「これだ!」と思って。普段着として着物を着たいと思っていたら、それをすでに実現してる方に会えたのだし。金沢でそういうことをやっているところはないかなと思っていたらの今回のことで。そのあとで思い返す度に「着付けの講師になるのもいいのかもな」とも思い始めていて、それも今決めるものでもないだろうけれど、なれるのならいいなとも。

とにかく着物を普段着として着れるようになりたいです。出来るだけ早く。洋服では胴廻りが本当に心もとなくて、やっぱりついつい胃の辺りに手がいきます、気になります。今は難しいけれど、もっと簡単に身近に着物を着られれば自分の体調との関わり方も変わってくるんじゃないかなと思うのです。絶対に普段着として着物が着たいと思っています。

…その為にも、少しでも働いてお金を稼いで、いい循環が出来ていって。普段着として着物を着れるようになって、体調も良くなって、元気になって、稼ぎの方が良くなって、落ち着いたら、絵に本腰が入ればとも思うし、いつか家を出て家庭を持てるならなとも思うし、その先で他にもいろいろなことがあるのならばいいなと。





ざっと今まとめたいことを書きました。
書きかけのが、ちゃんと書き上げられますように。